明治から実業団へ羽ばたく選手たち Page1:下條 乃將 

 毎年数人の選手が競技継続のため実業団へ進む明治大学競走部。社会人でも目覚ましい活躍を見せる選手が多いなか、今年は6人もの選手が実業団行きを決めた。そんな彼らの4年間の振り返り、競技継続への思いなどを聞いてみた。(この取材は1月下旬に行われたものです)

 

――改めてどちらの実業団へ進むのか教えてください。

 「山形県のNDソフトウェアという会社に進みます」

 

――決め手や経緯などを教えてください。

 「実業団に行きたいという話は2年生くらいからしていて、それで行くためにはどうしたらいいか佑樹さん(山本佑樹駅伝監督)に相談したら『1万mで28分台を出す』『駅伝で走れる選手になる』というのを条件というか、それくらいしないと行けないよという話をされました。それで最初は駅伝メンバーに入ることが大事という話をされて、夏ごろに入ってメンバーに入るだけでなく走れるようになったほうがいいというニュアンスの話もされて、それから聖人さん(鈴木聖人選手:旭化成)が2区を走るみたいな話が出まして。もともと走りたかった気持ちもあったので、秋口くらいに山対策をして5区を走ろうと決心しました。それから3年生になって28分台も出して箱根も走ってと結果を出したんですが、行く場所が無かったんです。それから2、3月くらいは就活もやっていたんですけど、ちょっと心が折れまして(笑)。そこから母親とかと相談して、就活と陸上の両方が中途半端になるくらいなら陸上を死ぬ気でやりきってそのうえで行けたらいいよね、ダメなら1年くらいフリーターやりながら就活するみたいな話になりました」

 

――かなり思い切った決断ですね。

 「そこから4月に陸上に振り切って6月に13分台を狙うという計画を立てて、秋からは駅伝や予選会に向けて、という感じでした。その時は実業団行けたらいいなという感じで走っていて、結局13分台も出なくて…。そうして夏前くらいに佑樹さんから『もう俺にはできることがない』と言われて『NDソフトウェアは西さん(西弘美スカウティングマネージャー)の後輩が監督をしているから西さんならどうにかしてくれるかも』という話を聞いて、その日のうちに西さんに『お話を取り次いでもらうことできませんか』とお願いして、その日の午後には『今度来るから準備しておけ』と話をさせてもらえることが決まったんです(笑)。その3日後くらいに話をする予定だったんですが、コロナの影響でその話も流れてしまって…。その後何もお話がなくて『これは流れてしまったかなぁ』と思って妙高で合宿をしていたら急に西さんから『NDソフトウェアの監督明日来るからな』と妙高まで来てくださったんです。それでお話をさせていただいてそこからとんとん拍子で話が進んで決定した、という感じですね」

 

――止まったと思ったら急に動き出したわけですね(笑)。

 「そうですね(笑)。あとやはり少し感じたのは高校時代のネームバリューの大きさですね。高校時代に結果を出していて、名前が売れているとそれだけで声がかかる場合もあると周りを見ていて思いました」

 

――2年生から実業団を考えていたという話で、かなり早々から競技継続を望んでいたんですね。

 「中学生で競技を始めた時から社会人でも競技を続けるというイメージがありました。陸上を続けて今年で10年になるので、ここまで続けてきたものを生かしたいというか、全てをナシにして他に行くというのが僕にはあまり考えることができなくて…」

 

――それだけ陸上が好きだったということですか?

 「陸上が好きなのもそうですけど、会社員として働くのがあまり想像つかなくて(笑)。今こうして明大にいますけど中学の時は頭もそこまで良くなくて…。大学に入っても小澤(小澤大輝:政経4)や富田(富田峻平:経営4)と比べた時には頭の差も感じました。『これじゃあ普通に就職できないな』と思うようになって、普通に就職するなら陸上を辞めて勉強なり社会経験を積まないといけないと。それでも自分が社会人として普通に生きていける未来が見えてこなかったので、見えてない未来を追いかけるよりは、陸上を続ける未来のほうが見えていると思いました」

 

――4年間を振り返って、自分の中で入学時と今で違うなと思うところを教えてください。

 「練習の考え方はだいぶ変わりましたね。1年生の時はバンバン体の感覚に任せて練習していて、中学、高校とそれで走れていたのもあって1年目は調子の良い時と悪い時が明確になる練習をしていました。要は調子の良い時に練習をやりすぎて後先考えていなかったので故障が多かったのかなと。結局のところ高校から大学の練習になった時に、大学練習の基礎が積み切れていない状態で大学生の練習をやるうえにプラスで練習を被せてしまった部分が1年目はあって、キャパを超えて故障してしまったんだなと。今は先のことをしっかり考えたうえで、練習できるようになりました」

(入学当初の下條)

――1年生の時から練習への姿勢がだいぶ変わったんですね。

 「そうですね。特に2年生の時の児玉(児玉真輝:文3)と奨美さん(長倉奨美選手:黒崎播磨)の存在は大きいですね。1年生の時はパッとした記録が出なくて、児玉とかと部屋が一緒になった時に、辛抱強く説得されて変わったというか、もともと人の話を聞かなかったとこがあって、佐久間さん(佐久間秀徳:令和4年卒)にも言われていたりしたんですけど、2年生の時もあまり変えずにいこうと思っていました。ただ、コロナがあって部屋に基本的に皆がいる状況下で、陸上の話を児玉とかとするなかで信頼関係ができてきました。今までは一方的に意見を言われるのが好きではなかったので、意見を聞かなかった部分があったんですけど、児玉は僕の意見を聞いたうえでそれをうまく合わせた話を提示してくれたので、それをちょっとずつやるうちに良くなってきたんです」

 

――児玉君はまるで監督ですね(笑)。

 「そうですね(笑)。あの時は佑樹さんとも自由に連絡がとれる状況ではなかったので。2年目の途中までは児玉監督に『教えてください!』みたいな感じでやっていました」

 

――入って1年目の後輩にアドバイスを求めるというのもなかなか凄いことですね。

 「同じ横浜で陸上をやっていたというのが大きかったです。これが全然違う地区出身の人とかだったら話を聞いてなかったかもしれませんけど、横浜の話が嚙み合ったというのもあって信頼関係もできあがりましたし、結果を出している選手でもあったので真似すれば自分も何か変わるかなと。あとは中学、高校と小さい輪のなかではありましたけど、一番上に立っていたので大学に入って後輩のほうが早いみたいな状況になって、今までの考え方ではダメなのかなと考えるようにもなりました」

 

――何か大学生活で「これやっておけば良かったなぁ」というものはあったりしますか。

 「坂井トレーナー(坂井優友コーチ)のトレーニングはもう少し早くから取り組んでおくべきだったなと思っています。ちょっとした調整部分もそうですけど、体の動かし方とか感覚の教え方がすごく上手な方なので、そういう感覚を2、3年目の時に教わっていればもう少し変わっていたのかなと思っています」

 

――明治大学で良かったと思う点を教えてください。

 「無理矢理やらせる、みたいな方針ではないのが僕的にはすごく良かったです。2年目に僕が伸びたきっかけでもある児玉の件もそうですし、ただ監督から一方的に言われてやる練習よりも、自分たちで気づいて考えて工夫して練習できる環境にいられたのはすごく良かったです」

 

――OTTのボランティアにも参加していましたね。

 「高校の時からOTTの存在は知っていて、一回後輩たちと見に行った時すごい楽しそうな雰囲気でやっているのが好きだったんですね。タイムを狙う目的もあると思うんですけど、全体的に陸上を楽しむイベントだなという印象を持っていました。『あのなかで走ったらタイム出るんじゃないか』と個人的に思っていて、高3の年始の時にエントリーしていたんですけど、ちょうど都道府県駅伝の合宿があってその最終日と被っていて走れなかったんです。そこからいつか絶対参加したいと思っていて、3年生の箱根の後に出たんですけど、そこからポイント練習やらレースに出たりしてやりすぎた結果故障して佑樹さんにすごく怒られまして(笑)。今年もできれば出たかったんですけど、またやらかしたら佑樹さんに怒られるので、大人しくボランティアをしようと。母親がボランティアとかに参加するのが好きでイベントの楽しさも知ってはいましたが、いざ行ってみると周りも気さくな方ばかりで楽しかったですね。またやりたいなと思っています。僕はペースメーカーよりもボランティアのほうが向いているというか、ペースメーカーは華やかな方々がやっているので、裏で仕事しているほうが楽しかったです」

 

――今回は6人が実業団に行くということでそこでのライバル意識はありますか。

 「皆僕より強い人ばかりで、練習できる人ばかりなのですぐに勝てるとは思っていません。それでも簡単に負けてやらないぞという気持ちは出していきたいですね。それなりに勝負できるようになりたいです」

(3年生のMARCH対抗戦)

――箱根駅伝を終えた後、何か同期と話したことがあれば教えてください。

 「僕はけっこう落ち込んで帰ったのもあって、皆慰めてくれていたのでそこまで折入った話はしてないですね。でも僕の中では4年間を振り返ると富田と同じくらいのタイムで入学して、富田の方がどんどん練習をこなして早くなっていて、うまくいってるのを見ると僕にもできるはずだろと。途中から一気に離されはしましたけど、富田がいたから最後まで頑張れたところはありますね」

 

――実業団での現時点での目標を教えてください。

 「まずはチーム一丸となってニューイヤー駅伝に出ることですね。チーム内ではマラソンをされている方が多い印象ですが、チームの方針としても個人の目標を達成していけばチームで集まった時もチームの目標を達成できるというある意味明治大学に近い感じなので、僕も最初はトラックなどでスピードを付けていきたいと思っています。マラソンもいつかはやりたいとは思っていますが、ハーフの倍の距離を走れるイメージが今のところないので、安易にマラソンを見据えるとかは言えないですね。個人的にはクロスカントリーのほうを視野に入れていきたいです」

 

――逆に「競技継続諦めようかな…」と思ったタイミングはありますか。

 「4月くらいの時点で……、いや結局諦めなかったのかもしれません(笑)。僕の中では箱根でちゃんと結果を出そうというマインドではありましたけど、ワンチャンあるんじゃないかと心の隅では思っていたので(笑)。でも昨年度の3月まではやれるだけやってダメだったらしょうがないと思っていましたけど、それでも諦めてはいなかったですね」

 

――佑樹さんや西さんと競技継続に関して何か相談したこととかありますか。

 「佑樹さんからは『4月から走れるようにしておかないとダメだ』と言われました。2、3月しっかり練習して、早い段階から会社の練習に参加して4月からレースに出れるようにと。佑樹さん自身がこの時期に苦しんだと言っていたので、ある程度体をつくっておいて、会社入った時点で個人でバンバン結果を出していけるようにしておけ、ということですね」

 

――卒業する先輩として、競走部の後輩たち(これから入学する人も含めて)へ伝えたいことがあれば。

 「今年度は小澤のおかげで明治もだいぶ変わりつつあるので、なぜ明治に入ったのか、何をするために競走部に入ったのかを見つめ返してもらって、今やるべきこととかを見直す時期になっていると思います。キツイ練習をしている以上結果を出さないといけないし、自分のやりたいことを思い出して自分の将来を決定してほしいなと。ほんとに箱根で結果を出したい、競技で結果を残したいと本気で思って取り組まないと何も生まずに終えてしまうので。ただただ練習を消化するだけなら、競技を辞めてアルバイトとかの色んな社会経験を積んだほうが社会人になって生かせるスキルがたくさん身に付くと僕は思っているので。そこを見誤ることはしないでほしいですね」

 

――後輩たちも着実に結果を伸ばしていますし、明大競走部はここからですね。

 「そうですね。小澤が今までの良くなかった部分を今年1年かけて変えたいと最初のミーティングで話してから僕はそれに付いていくと決めていました。小澤のつくったものが今後の明治をつくっていくと思うので、それを経てこれから入ってくる後輩たちが強い明治をつくってくれればと思っています」

 

――これからの意気込みをお願いします。

 「結果がすごく求められてくるので今以上に練習についても向き合って、そうするとキツイこともたくさんあると思うんですけど、そんな時に皆さんが応援してくれることが僕の頑張るきっかけにもなるので、これからも応援していただけるよう頑張りたいです」

 

――大事な質問となっておりますが、これからもハチマキは付けるんですか?

 「付けますね。色は実業団のユニフォームに合わせて変えますけど。文字は変えずに“一走入魂”で新しく作って付けようかなと思っています。入部当初は先輩から外せと言われたりもしましたが、意外と4年も経つと周りも含めて慣れるもんだなと(笑)」

【聞き手、書き手:金内 英大】

(写真提供:明大スポーツ新聞部)

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