毎年数人の選手が競技継続のため実業団へ進む明治大学競走部。社会人でも目覚ましい活躍を見せる選手が多いなか、今年は6人もの選手が実業団行きを決めた。そんな彼らの4年間の振り返り、競技継続への思いなどを聞いてみた。(この取材は1月下旬に行われたものです)
――改めてどちらに進まれるのかを教えてください。
「自分は福岡の安川電機へ進みます」
――きっかけや経緯を伺ってよろしいですか?
「地元が鹿児島ということで、同じ九州で競技をしたかったという理由もあります。安川電機はマラソンに強みがあって、マラソンで五輪代表を生んでいるチームではありますけど、スピードのある選手を入れたいということでお声をかけていただいたので、自分もそこで続けたいと思って決めました。自分の将来のプランなどを安川電機さんのほうでしっかり考えてくださっていて、トラックを重視していきつつ、未定ではありますがマラソンも見据えていくというかたちでした。そういうふうに自分もやっていきたいと思っていたので、一番の決め手はそこでした」
――入学当初と卒業間近の自分、決定的に違うところはどこだと思いますか。
「競技力もそうですけどメンタル面ですね。競技に向ける姿勢が変わったと思います。物事を冷静に見られるようになりました。よく『自主性』と言われている通り、自分が入学した当初はある意味野放し状態というか、自分で何をしたらいいか分からなかったんです。そのなかで試行錯誤していってだんだんとタイムも伸びてきましたし、スタミナという課題も出てくるなかでそれをどうしようと考えることもしてきました。長い距離を走らないといけない、そのためには筋力も必要になる。そういうふうにただ走るだけではなくて補強やトレーニングや食事など、全部競技に繋げるということを意識していくうちに伸びていったかなと思います。考える事がとても大事だったと実感しています。高校まではすべて監督の指示に従って練習していたので、大学に入った時に『各自のペースで、各自の距離で』と言われた時に『何分走ればいいのか、何分走ればいいのか』というのが分からなくて、かなり戸惑いましたね(笑)」
――「考える」という話が出ましたが、そうした状況を打開するにあたってきっかけ等があれば教えてください。
「一番は先輩に聞いたりしたことですね。自分の場合は1年生の時失敗が多くて、そこから3年生の時まで失敗していて、正直3年生の時まで自分が何をしたらいいか分からない部分が多かったです。それから4年生になって3年生までの失敗を生かして、ハーフマラソンなどでも最低限の走りができたり自己ベストが出せたり、結果を出すべき試合で結果を出せたのだと思っています」
――明治で良かったという実感がやはりありますか?
「そうですね。社会人になると、こうして自分で考えていく力は大事になると思いますし、出されたメニューをこなすだけでも限界があるので、自分で考えていくことは陸上だけでなく他の事にも繋がっていくのかなと思っています。辛いことのほうが多かったですけど、トラックでそこそこのタイムを出せたのもそうですし、1回だけでしたけど駅伝にも出させてもらいましたし。悔しさしか残らない結果でしたけど、だからこそ大学で満足せず実業団でやっていくモチベーションにもなったと思っています。良いことも悪いことも味わいました」
――4年間の振り返りを教えてください。
「1年生の時は夏合宿以降、貧血になったりしてレースもボロボロでした。3年生になってガクッと落ちてしまったんですけど、予選会も世田谷ハーフもチーム内では下の方でしたし、MARCH対抗戦も最終組にはいましたけど最下位だったり…。トラックではまあまあだったんですけど、駅伝シーズンになると焦りだったりとか、自分の流れをつかむことができずにダメになってしまいました」
――競技継続を諦めようかな、と思ったタイミングはあったりしましたか?
「1年生の時は実業団に行くみたいなことは考えていなくて、2年生で5000m日本選手権の標準を切った時から実業団に行きたいと考えるようになりました。陸上を続けようか悩んでいたのは3年生の秋でしたね」
(入学当初の漆畑)
――一番苦しんだ時期はやはり3年生ですか?
「そうですね3年生の秋です。同期の多くが箱根で走っていたのが悔しかったですね。同期がそうした選考レースとかでも走れていたのも悔しかったんですけど、気持ちがあるのに体が付いていかなくて結果が出ないというがつらかったです」
――オーバーワーク気味になることもあったりしましたか。
「オーバーワークもそうですし、一番の焦りはメンタル面だったのかなと思っています。こういう悩みは同期には話しづらいので、だからこそ抱えこんでしまったというのがあります」
――自分のなかでどう決着をつけたのですか?
「3年生の後半で実業団行きも決意しましたし、ラスト1年集中して気持ちを切り替えようと。正直実業団に行くか普通に就職するか迷っていたんですけど、佑樹さん(山本佑樹駅伝監督)からも『決めるなら決めてしまって、ラスト1年集中したほうがいいんじゃないか』と言われて、まだ自分のなかでも可能性があると思っていたので実業団行きを決めました。それでラスト1年、前を向いてやろうと思いました」
――ここまで得た経験をもとにこれからどんな選手になりたいか、イメージがあれば教えてください。
「今の時点ではトラックで結果を残したいなと。小袖さん(小袖英人選手:Honda)とかもスピードが持ち味の選手で、5000mでも記録を出されていますし駅伝でも活躍されているのでそういう選手になりたいなと思います」
――最後の箱根を終えて、改めて同期という存在を振り返ってみていかがでしょうか。
「自分たちが入ってきた時は例年に比べてタイムがそこまで早いわけでもなかったので、そのなかで1年目から櫛田(櫛田佳希:政経4)や加藤(加藤大誠:経営4)がシード権に貢献する走りをしましたし、2年目にはチームの半分が出場するくらい主力学年になりました。そういう意味では皆頼もしい存在でした。皆仲良いですし、卒業して離れても交流していける同期だなと思っています」
――そんななかで影響を受けた部員はいますか。
「やはり富田(富田峻平:経営4)ですね。出る試合、ことごとく彼と一緒の事が多くて。3年生の時とかも2人で遠征に行ったりしていて、負けることも多かったですけどそこで負けたくない気持ちが強くなりましたし、今はもうエースにまでなって…。彼は区間賞を取って自分は全然ダメでしたけど、これからも彼を目標にしていきたいと思っています」
――4年間で印象に残った思い出を教えてください。
「直近の話になりますけど、最後の箱根駅伝でゼミの友達とかが応援しに来てくれたのが一番嬉しかったですね。体育会ということとコロナもあってあまり集まりにも行けていなかったので、大きかったですね」
(1年生の時の1万記録挑戦会)
――現段階で持っている目標は何でしょうか。
「今はまだそこまで目標は立っていないですけど、最終的な目標は日本選手権で表彰台に立ちたいというのがあります。最初のうちはトラックと駅伝で結果を出していきたいと思っています」
――漆畑選手にとって、陸上はどんな存在ですか。
「自分にとって陸上は人生を変えてくれた存在ですね。陸上がなかったら地元で高校を出て働いていたと思いますし、それこそ大学に来るなんてこともなかったです。ましてや東京に来る人なんて地元鹿児島からすると少数派なので、そういった意味で大きく人生を変えてくれたのが陸上だと思っています」
――こうして東京で過ごして4年経ったわけですが、トップレベルの選手たちのなかで得たものは大きいですか。
「大きいですね。特に1年生の時のキャプテンなんて阿部さん(阿部弘輝選手:住友電工)だったので、ホントに阿部さんがすごく大人に見えたんですよね(笑)。キャプテン=阿部さんでしたし、阿部さんはザ・キャプテンでした。『これが大学生か!』『これがトップレベルか!』と思いました」
――後輩たち(これから入学してくる人も含めて)へ残したいメッセージがあればお願いします。
「良いタイムで入って来る人もいれば、そうでもない人もいると思います。それでも目指すところは同じですし、タイムが下の人たちはめげずに上の人たちに食らい付く気持ちでいってほしいです。上の選手たちは自分たちが明治を引っ張っていくつもりで頑張っていってほしいですし、レベルが高くなってくると自分で考える能力はどんどん必要になってくるので、そこに気付けるかで結果や見えてくる世界も大きく変わってくると思います。陸上のモチベーションも変わります。しっかり目標を明確化して頑張ってほしいです」
――これからも応援してくださるファンの方へ一言お願いします!
「大学4年間で自分が満足できるような結果残すことができなかったので、この学びを糧に実業団でまだまだ競技を続けます。結果で恩返しできるように、そして成長した姿を見せられるよう頑張りますので、応援のほどよろしくお願いします」
【聞き手、書き手:金内 英大】
(写真提供:明大スポーツ新聞部)
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