明治から実業団へ羽ばたく選手たち Page3:加藤 大誠

 

 毎年数人の選手が競技継続のため実業団へ進む明治大学競走部。社会人でも目覚ましい活躍を見せる選手が多いなか、今年は6人もの選手が実業団行きを決めた。そんな彼らの4年間の振り返り、競技継続への思いなどを聞いてみた。(この取材は1月下旬に行われたものです)

 

――どちらの実業団に進むのか教えてください。

 「旭化成にいきます」

 

――4年間を振り返って、入学時と今で決定的に違うと思うところを教えてください。

 「だいぶ性格が大人になりましたね。今まではかなり無邪気で、我が道を本当に進み続けていたんですけど、色んな価値観を得ることができて、全国からトップレベルの選手が集まるところにいられたということもあって成長できたなと思っています。レース面でいうと冷静に走れるようになったというのもそうですし、4年間連続で箱根駅伝に出場できたというのも大きかったです」

 

――こうして振り返るなかで、もし入学時の自分にアドバイスできるならどんな話をしますか?

 「自分が選択してきたことに関しては何か言うことは特になくて、後悔してないです。強いて言うなら中国語履修するなら韓国語を履修しろよと(笑)。K-POP好きなら韓国語を選んでおけという話ですね」

 

――充実した4年間でしたか?

 「充実していましたね。箱根や予選会などの良いこともありながら、悪いことのほうが多かったんですけどそういうほうが逆に充実していたのかなと。結果だけで見ると4年生時はそこまで出ていないんですけど、確実に積み重ねてきたものはあると思います」

 

――4年間で得た最大の学びを挙げるなら?

 「1年生の時に怪我をしていて、同じタイミングで阿部さん(阿部弘輝選手:住友電工)も故障していたんですけど、その時相談して話してもらったことが一番かなと思っています。細かいことは色々胸の内に秘めておきたいんですけど、そこから色々やり方を変えるようになったり、日本代表レベルのお話を聞くこと自体もすごい刺激を受けますし、そこからスイッチを切り替えて練習することができるので、そういう部分は良かったですね」

 

――阿部さんとは今でも連絡とったりするんですか?

 「グラウンドでたまに練習一緒になるのでその時に少し話をするくらいですね。八幡山はレベルの高い選手が練習しに来るので、そういう人たちを目の前に練習できるのは刺激になりますね」

 

――4年間のなかで苦しんだ時期はどこでしょうか。

 「だいたい全部(笑)。最初は1年生の故障時ですね。痛すぎて復帰する未来が見えなかったのと、周りがすごく練習を積んでいたのでそこに対しての焦りもありましたね。3年生の時には合宿でBチームに落ちてしまって、けっこうたくさん怒られてもいたので、そういうのを経たからこそ予選会の時にいい結果が出せたのかなと。4年生の時は全体的に苦しんでいて、タイムも出なくて何が足りないのか、どうすればいいのかを毎日すごく考えていました。何とか予選会で失敗した課題は箱根で修正することができて、上にいくために必要な部分がまだまだあるなというのも再認識できたのでそこは良かったと思っています」

(入学当初の加藤)

――最後の箱根の結果に関して自分なりにどう感じていますか。

 「僕が当たったりやらかしたりが多々あったので、そういう意味ではまとめる走りができるようになったかなと思っています。まだまだ足りない部分はありますし、2分55秒でペースを刻みたいと思っていたんですけど3分くらいのペースになってしまったので、改善点の修正を次に向けてやっていきたいと思います。4年間ミスすることが多かったので、上に伸ばすことよりも下を削ることがもう少しできたのかなと。満足はしていないです」

 

――4年間一番の思い出を教えてください。

 「圧倒的ビッグイベントで言うと、1年生の時に12月10日より少し前に区間を言われた時は衝撃でしたね。『加藤、2区いくぞ』って言われて。笑いましたその時は……。『えっ、えっ2区!?』って感じで『いや笑いごとじゃないぞお前2区いくぞ』と言われました。あれは衝撃的でしたね花の2区ですよ?陸上界のアベンジャーズが走る区間ですもん。その時秋は上尾ハーフしか走っていなかったのに2区にいくとは…。あれは面白かったですね」

 

――今回の箱根後に同期と何か話したことはありますか。

 「富田(富田峻平:経営4)の話もそうですし、後輩に何を残していくんだとか、いつ退寮するんだとか、そういう話しかしてないですね。同級生同士というよりも後輩に色々伝えていて、これからも伝えられる部分があれば伝えていきたいですね。その役割は寮にいるうちは努めていきます」

 

――同期の存在を振り返って。

 「仲良いですし心の支えというか、自分が間違えていたら修正して怒ってくれて、そうして言い合える環境ができていたので、最高の仲間だったと思っています」

 

――6人が実業団入りということでライバル意識何かはあったりしますか?

 「もちろんありますし、それ以前に僕のいくチーム内での競争があるので(笑)。外見る前に中を見て、その中でどれだけ戦えるかが重要なので」

 

――そんな同期、チームをまとめてきた小澤大輝主将(政経4)はどんなキャプテンでしたか?

 「やっぱりリーダーでしたね。キャプテンでした確実に。縛るところはしっかり縛って、目標を明確化して、箱根のために何ができるかをすごく考えさせていたので、僕はそれを徹底的に付いていってサポートすることを誓っていましたし、見える目標を毎月つくってそれに対してどうしていくのか、という目標シートの導入もそうでしたし、小澤でなければここまで改革できなかったなと。他の人間では現状維持はできてもここまで改革できていなかったと思います。明治の内部も改革が進んでいるので、さらに変わるきっかけをつくってくれたキャプテンなのかなと思っています」

 

――明治で良かった部分を教えてください。

 「まず大学編でいうと、経営学部で良かったとめちゃくちゃ思っています。色んな勉強をできたのが楽しかったですし、そのおかげで考える質もかなり上がりました。先生方もいい先生ばかりで、僕が箱根走るときも皆さん応援してくれましたし、そのなかでもゼミの先生との出会いは大きかったですね。色んなことも教えてもらいましたし成長させてもらいました。クラスの人たちも分からないことがあれば色々教えてくれて、仲間に恵まれたなと思っています」

(1年生時の全日本大学駅伝予選会)

――部活編でいうと?

 「同じことの繰り返しにはなるんですけど、失敗することのほうが多かったのでそのなかで得た学びもありました。これから先の世界は失敗の連続は許されないので、ここでたくさん学ぶことができたのは大きかったですね。佑樹さん(山本佑樹駅伝監督)も怒りながらもチャンスをたくさんくれたので、そこはホントに感謝しかないです。それでも一番は仲間に恵まれたことですね。1年生の時の4年生の先輩や、後輩たちや同期、皆いい人たちで個性的な人ばかりなので、そういう人たちと一緒に4年間やってこられたのは大きいですね。いい友達もたくさんできました」

 

――後輩たちに残したい言葉があれば教えてください。

 「うーーーーーーーん……。僕の中のポリシーとして“楽しんだもん勝ち”というのがありまして。今の学生は結果を追い求めすぎていて練習から何から楽しめていないんじゃないかと思っています。キツイのも、楽って思えるのも含めて練習は楽しまないといけないし、あくまで僕個人としては楽しくないと強くなれない気がしていますね。楽しくないとつまらないし、やっていくのがキツくなるし心が疲弊していきますし。うまく言えばモチベーションを維持してほしいということです。技術的な面は佑樹さんとかも教えてくれますし、モチベーションに関しては心から陸上が好きになること、楽しんだうえで箱根を走りたいと思うことのほうが重要かなと思っています。明治は自主性を重んじるので、受け身でやらされるのでは絶対良くないです。そういう感性を僕は大事にしています。それを後輩には伝えたいです」

 

――競技継続にあたって今の段階で掲げている目標を教えてください。

 「一応、6大マラソンのうち3つで入賞を最大の目標にしています。ドでかい大会で結果を残すと。ロードは適正あるので。ただ旭化成はトラックもめちゃくちゃ強いので、そのなかでゴールデンゲームスとかももちろん走っていきたいですし、マラソンやっているからといってトラック全く走れないというのはおかしな話なので、あくまで重きを置くのはマラソンというかたちです」

 

――旭化成に決めた理由を教えてください。

 「完全に心を決めたのは、2021年の12月に日本選手権があったんですけど、僕は1年生の時、2区で相澤さん(相澤晃選手:旭化成)と伊藤さん(伊藤達彦選手:Honda)のランニングデートでぶちぬかれていて、その2人が今度は日本選手権でランニングデートしていると。そこで日本記録も出したんですよね。それを見て『これだ!』と思ったんです。そこで完全に心を決めました。あと僕が高校2年の時のキャプテンと大学3年の時のキャプテン両方が行っているので、あの人たちに追い付こう、追い抜こうという気持ちもあります」

 

――競技継続を決めた時期というのは。

 「えー、2015年の11月22日。それが中学の時の都道府県選考のタイミングで、親と色々進路について揉めたんです。親の仕事の都合で、中学3年で岐阜に帰る約束で鹿児島に来たんです。それでそこから鹿児島実業とかから声がかかるようになって、続けるなら寮生活になると。ただ親も寮生活をしたことがあって、子供に寮生活をさせたくなかったらしくて。それで色々話すなかで『だったら県1位を取ってこい』と。1位とれたら続けていい、ダメなら帰ろうと。ギャンブル的な賭けでしたけど何とか1位になれて、僕はそこから陸上の道に進むことを決めました。そこで親から『陸上の道に進むということは怪我であったり、不調が出たら終わるかもしれないぞ』と言われました。それでも僕は続けたいと思ったので、これから先は陸上に人生を振ると決心しました。逆に言えばあの1位がなければ明治にいませんでしたし、箱根も走っていなかったので、多分自転車か車の競技をしていたと思います(笑)。」

 

――これからも応援して続けてくれているファンの方へ。

 「今までは期待させてはダメだったり、何も期待していなかった時に走れたり…。ホントに色んな方々を落ち着かない気持ちにさせてしまったと思うんですけど、ここからはしっかりと、結果を残せる大会では結果を残して、カッコいい姿を見せ続けられるような選手になりたいです。それこそマラソンでいうところの、2時間ずっとTVで映り続けられるような選手になりたいです。皆に注目してもらえるようしっかり結果を出して、そのために対策して、前を向いて陸上を続けていきたいなと思います」

【聞き手、書き手:金内 英大】

(写真提供:明大スポーツ新聞部)

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